こんにちは。本日もご訪問頂きありがとうございます。
今日は「アドラー心理学を学んでいて良かったな~!!!」と思ったクレーム対応についてお話ししたいと思います。
このブログを読んでいただくと
生きやすくなる
人間関係で建設的でポジティブに、折り合いをつけられるようになる
実体験に沿ってお話しさせて頂きますね。
先日、私の会社にクレームが来ました。「Aさんの言い方がキツい!」という内容でした。Aさんはクライアントに対面で誠心誠意、謝罪しました。弊社は BtoB 企業です。一期一会の関係ではなく、「今後も付き合いが続いていく」その前提で今回のクレームがありました。
A さんはその後、謝罪文をメールで送りたいと言います。そして「校正をしてほしい、どれだけ直してくれてもいい」と私に一任してくれました。端的な内容として
〇〇様
昨日は不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
今後はこのようなことがないようより一層気をつけて参ります。
この度はお話してくださってありがとうございました。
担当:A
と書かれていました。
結論から申し上げると、私はどこも訂正しませんでした。
そして担当 Aさん には以下のようにお話をしました。
A さんの周囲の人10人に「A さんの言い方ってきついかな?」と聞いた時に、例えば4人、5人、6人、……それ以上の人数が「きつい!」と答えたならば、社会生活を穏便に営んでいくには何らかの対処が必要だと考えます。
ただ 現実、そのような物言いがきついということを言っている人はいなかった。A さんはいつも愛情深く、丁寧に接客をなさる方です。実を言うと A さんは職場の責任者。つまり私の上司でもあるのです。
責任者ともあろう人がわざわざクライアントを悲しませるような言い方をするでしょうか?答えは NO です。となると、気にする必要ないのかなと思いました。私はこれを相手の受け取り方の問題として定義づけました。(アドラー心理学の「課題の分離」)
我々には測り知ることができませんが、クレームをくださった相手も一人の人間。
バックグラウンドがあるんですね。例えば、その前日に夫婦喧嘩をして気分を害していた。あるいは、転職を控えていて不安に思っている。……など何らかの不安や悲しみあるいは恐怖などを紛らわせるために行ったのかもしれません。人間は「自分の本心向き合うことが怖い」ことから代償行為として他人を攻撃することがあります。
相手の課題である以上、我々には干渉しようがない。する必要もない。
なんですよね。火に油を注ぐだけになります。ただ相手が悲しんだのは事実。ですので上記の文面で謝罪文を送るのが適切かと思いました。
アドラーの目的論の例を実例で一つ挙げます。
学生時代のバイトの時にバイト仲間 B がいました。ただ、Bは突然バイトを辞めました。上司曰く「えみりさんのことが好きで苦しいから辞める(原因論)」と言ったそうです。実はこれ前後関係が逆なんですね「仕事を辞めたい(目的論)」が彼の根底にまずある。言い訳として私を利用している。今後もバイト生活が続いていく、そんな私の顔に泥を塗る文言を残してバイトを辞める、それは本当に私のことを好きと言えるのか?上司も「やっぱりそうだよね」完全同意してくれました。また彼の辞職理由も周囲に伏せておいてくれました。
さておき、この度クレームをいただいたのも「今後長い関係が続いていく」という前提。相手も相当な覚悟を持って今回お話くださったのだと思います。「今後もお互い気持ちよく交渉していきたい。」相手からすると決死の覚悟で伝えてくださったのだと思います。
どれだけ気をつけていても他人に嫌な思いをさせてしまう・傷つけてしまう時はあります。そんな時にはきちんと謝罪して、そのようなことは二度と起こさない。今後どのようにしていくか(改善策)を伝えて行動を改める。社会通念として成立していますが、これはれっきとしたアドラーの目的論だなぁと思います。未来志向でポジティブです。
上記のような関係は WinーLose の関係なのでNo Deal (相手にしない)が正解です。(7つの習慣より)
まとめ
今回クレームがあったものの、アドラー心理学を学んでいたおかげで穏便に事が済みました。何より上司に論理的にメールの内容が正しいことを説明できたのが良かったです。統計学的に上司に非はないこと。相手も一人の人間で傷つきやすい一面があったり背景があったりすること(目的論)、ただそれは相手の課題であって我々の課題ではないこと(課題分離)、とはいえ悲しませたのは事実であること、今後どうしていくか改善策を提示できたこと(目的論)。
今回クレームを受けたの客観的に見ることができたので冷静に対処することができました。これが自分へのクレームだったとすると客観的に考えられずやはりパニックを起こしていたと思います。
アドラー心理学ではよく「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることまではできない」という文言がよく出てきます。課題の分離の象徴です。ただ、これが出来ると本当に生きやすいなと感じます。ひろゆきさんの有名なセリフ「それってあなたの感想(課題)ですよね?」という、ひょうひょうとした調子で生きられます。
コミュニケーションに正解はありません。ただ心理学などを勉強することによって妥協点(落とし所)を知って自身を納得させることはできます。私は雑談などのコミュニケーションは本当に苦手で、もはや諦めています。はっきり言って重度のコミュ症です。職場が雑談で盛り上がっている時も、すみっこでポツンと仕事をしています。ただ「自分から挨拶する」「報連相はしっかりする」「感謝の気持ちは伝える」「万が一話しかけて頂いた場合は肯定的に話を聞く」それだけで「えみりさんは人間関係のプロフェッショナルだから」と今回のようにクレーム対応を任せてもらうこともできます。
アドラー心理学の注意点として、アドラー心理学を知らない人からめちゃくちゃ嫌われるというものがあります。アドラーは人間関係は縦軸ではなく横軸であると定義しています。(人間関係は平等で対等な関係としている)日本社会では縦社会・儒教的な年功序列の形態をとっています。これまで「縦社会だから」「年功序列だから」と言い聞かせ、我慢してきた方々からみると「何という礼儀知らず!」という印象を与え、ものすごく嫌われることがあります。私も姑から「私はさんざん姑に対して我慢してきたのに、えみりさんは何も我慢していない!」とブチギレられたことがあります(笑)
フロイト心理学(原因論)とアドラー心理学(目的論)。どう使い分けたらいいのか?私は自分を内省する時はフロイト心理学を用い、他者と円滑で建設的な関係を築いていく時にはアドラー心理学を使っています。アドラーはトラウマは存在しない、と言い切っています。ただその一言で片付けるには私の人生は複雑すぎまして。それぞれの心理学の美味しいとこどりをしてより良い、生きやすい人生を歩んでいければな、と願っています。
本日も長々とありがとうございました。俺の屍を越えてゆけ。